| 名 称 |
名古屋日独協会 |
| 設 立 |
1953年(昭和28年)11月16日 |
| 会 長 |
寺田 耕(三重大学名誉教授) |
| 協会の沿革 |
名古屋日独協会は昭和28年11月16日設立総会を開催し、初代会長に元名古屋大学総長故勝沼精蔵氏を選出して発足した。協会創立は駐日ドイツ大使をはじめ県知事、市長など多くの来賓を迎えて盛大に祝われた。発足当初の会員は殆どが戦前にドイツ留学した大学教授や中京財界の名士等であり、今日では想像できないが独特の権威と雰囲気を持つ人々の集まりであった。当時は国際交流が今日ほど隆盛ではなかったため、名古屋日独協会はドイツの最新情報を知る恰好の機会として活用され、例会では主にドイツ事情を話題とする講演が行われるとともに、総領事館提供の映画「ドイチュランドシュピーゲル」が上映された。
また、月一回名古屋の丸栄ホテルでは「総領事の面会日」なるものが催され、会長は毎回面談し情報交換を行ったため、総領事館と名古屋日独協会とはきわめて密接な関係にあった。
会長が面談時に総領事から提供された資料は協会事務局の図書室に保管し、会員は自由に閲覧できた。一方、若い会員はドイツ留学を希望する人々の集まりで、協会が実施したドイツ語講習会はいつも大変な盛況であった。
名古屋日独協会の事務局は発足当初から名古屋商工会議所におかれ、事務処理ならびに経費負担等ほとんどすべての業務を提供していただいていたため、協会運営はきわめて円滑に遂行された。
二代目会長には元名古屋大学名誉教授故堀田一雄氏が就任され、昭和39年5月から同51年2月までの間、協会の発展に尽力され、それによって今日の基礎が築かれた。
その後、三代目として昭和51年3月から平成5年4月まで元名古屋大学名誉教授故中條宗助氏が就任されたが、その頃より社会情勢は大きく変化し、協会も名古屋商工会議所の庇護から独立を余儀なくされたため、事務処理、経費、例会会場などすべてを独自でまかなわねばならず、活動も沈滞気味であった。
前石黒伊三雄会長(藤田保健衛生大学名誉教授)の代となって協会活動の経済基盤を確立し独自の運営が出来るようになった。しかしながら、現代は日本経済が目覚しく発展し、希望すれば誰でも海外に渡航できる時代であり、またIT技術の急速な進歩は世界の情報を日本に居ながらにして瞬時に入手可能とした。名古屋日独協会自体も旧来の慣習にこだわらず、時流に則った新しい活動を絶えず模索し実行している。
最近の本協会はドイツに関心を持つことを共通とする以外は、経歴、職業、趣味等の異なるきわめて多彩な人々が会員となり、毎月の例会を中心軸として、日独交流事業、他の日独協会との連携行事、ドイツ語講習会等を行うとともに、ドイツに関する情報交換と会員相互の親睦を深めている。
特に例会では長期、短期を問わず名古屋に滞在のドイツ人に講演を依頼し、それに引き続き協会員との懇談を行い国際交流を図っている。また、本協会は日独協会連合会の一員として、日本とドイツの若者が一年置きに相手国を訪問しホームステイをしつつ企業研修を行う国際交流事業に積極的に参加している。 |
| 名誉会長 |
川口文夫(中部電力株式会社会長) |
| 会 長 |
寺田 耕(三重大学名誉教授) |
| 副 会 長 |
加藤延夫(愛知医科大学名誉教授)
Michael Calmano(南山大学学長)
内藤明人(リンナイ株式会社取締役会長)
野村 武(野村建築事務所所長)
金武直幸(名古屋大学大学院工学研究科教授)
山本\子(藤田保健衛生大学名誉教授) |
| 常任幹事 |
内藤純子(藤田保健衛生大学短期大学名誉教授)
寺岡信之(愛知県立瑞陵高等学校元教諭)
山路哲生(山路整形外科病院院長)
大久保雄二(新東工業株式会社監理部部長) |
| 運営委員 |
大野恵子(名古屋音楽大学前教授)
杉山正行(ユニバーサル貿易株式会社代表取締役)
蟹江良一(名古屋文理大学教授)
織田 浩(名古屋商工会議所国際グループ長)
上田英里名(上田英里名税理士事務所所長) |
| 監 事 |
伊達 肇(大和自動車整備工場社主)
校條善夫(東海女子大学文学部元教授) |
| 事 務 局 |
大橋鉱二(藤田保健衛生大学医療科学部講師) |